リップ
クリーム






済ませた後それぞれに、必ずすることがあった。
僕は上半身だけシーツから這い出して、枕に腰掛けるようにして煙草をふかす。
普段は彼女から離れて吸うのだけど(煙たがるから)、この時ばかりは思い切りそばでふかしてやる。
(良いじゃない、うんと気持ち良くしてあげたんだから)
なんて、内心ちょっと毒づいてみたり。
彼女は荒い呼吸を整えるのに専念するから、こんな時まではいちいち注意してこない。


そして彼女は、ある程度落ち着くと仰向けのまま右手を上げ、枕の上辺りをごそごそと探り始めた。

「なに?」
「お水。あったよね、このへんに」

なんだ、ノドが乾いたのか。
代わりにペットボトルをとってあげた。

「はい」
「あ。ありがと」

ニコチンを心ゆくまで堪能した僕は、その吸殻を安っぽいガラスの灰皿にぎゅっと押しつけた。
充電完了。ありがとうニコラ。(僕は煙草のことを、よくこうやって呼ぶ。愛情と親しみの意味を込めて)


キャップを開けて、彼女が勢い良くミネラルウォーターを飲み始めた。
ごく。ごく。ごく。ごく。
飲みの席でビールを一気飲みしてるみたいだ。

「ぷはー」
半分ほど飲んだ後、今度はそれをあった位置に戻し、となりのリップクリームに手を伸ばした。
これもキャップをとり、下の部分をくるくる回して、さっきまで潤みっぱなしだった唇をなぞった。




「ねぇ」
「ん?」
「いつもぬってるよね。リップクリーム」

行為の後の、習慣だった。
彼女はぬりながら、それでも顔をこちらに向けてきょとんとした。
「知ってたんだ」
「知ってるよ。そんなの。いつも終わった後にぬってるでしょ」
「うん。だって乾燥しちゃうから」
「寒いもんね」
さっきまで湿ってたでしょ。たくさん舐めたから。
そう言おうとしたけど、ぶたれそうだったからやめておいた。

彼女は「乾燥」を人一倍嫌っていた。
特にこの季節はそれに敏感になっていて、おかしくなっちゃってるんじゃないかってくらい、ドラッグストアで保湿成分の優れたスキンケアを買いあさる。
陳列棚の前で「あれでもないこれでもない」と呪文のようにぶつぶつ言っているその姿は、ちょっと敬遠したいくらいだ。

「それでも30分に1回はつけ過ぎでしょー」
「ダメなんだってば。わたし。すぐつけないと、そのうち切れちゃうから。」
そりゃ唇が切れるのは困るよ。
「ヨリだって、彼女の唇がアレアレなんてイヤでしょ?」
「うん」 即答。
「ね?だからー、こうやって定期的にケアしてるわけですよ」
「なるほどねー」

適当に返事をして、いまだにリップクリームを往復させている様をまじまじと見つめた。
マッサージ効果もあってか、ほんの少し唇が赤くなっているように見える。

「グロスとか口紅とか、そんなのいらないね」
「え?」

顔を寄せて、頬にキスをした。
唐突なことで、彼女は目を丸くする。
だけど、次の瞬間には笑う。

「なぁに、もう」
わざとなのか、顔を背ける。でも、笑ってる。
遠慮しないでって、その目も言ってる。


間違い、ないね?


頬だけじゃない。
まぶたや、髪にも、絶え間なくキスの雨を降らせてやる。
小さな子供が可愛い悪戯をした後みたいに、くすくす笑う彼女。
大人ぶる時もあるけど、その声はやっぱりまだまだ子供だ。
でも、そんなところをとても可愛いと思う。


「また後で、ぬり直してあげるから」


そばで囁くと、彼女はとろけるように笑って頷いた。







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